年越しデートをしたかったカカシと淋しがりなイルカのお話






吐き出す呼気はこの漆黒の大気に、白く広がっては滲み、溶けてゆく。
見上げる頭上、夜が深すぎて何も見えず、月影も星の瞬き一つすら見えず。
なんだかそれが、こんな夜には相応しい気がしてイルカはくすりともう一つ、白い息を吐き出した。
じゃあ、四つ辻の祠の前で。
そう約束して別れたのは数時間前の事。なんだってわざわざ待ち合わせなんか、と渋るイルカが、だっていつだってどちらかの部屋で二人、夜が更けるまで過ごすなんてとうに珍しくも無い事なのに、「ねえなんでわざわざ外で」そう繰り返して尋ねると、カカシは「たまにはね」と笑ってふわりと窓の外に消えて行った。いつもいつも、玄関を使えとあれ程しつこく言っているのに。その玄関に放り出してあった靴も何時の間にか消えていて、これだから上忍は油断がならないんだ、とイルカは一人でイライラと炬燵に戻り、カカシのために剥きかけていた蜜柑を頬張ったのだった。
夕食は、「あとで」と言うのをさっき無理矢理食べさせた。あとまでなんて、とっておけるものじゃなかったから。何をあんなに急いでいたのだろう、いつもならイルカの手料理と聞けば、何を置いてでも食べようと頑張って駆けつける、そんな子供のような姿にイルカが呆れることもしょっちゅうなのに。蕎麦が嫌いだったのだろうかと思い、まさかそんな筈も無いと首を振る。どうせまたあの人の気紛れかろくでもない事でも考えついたのだろう。苦心して合わせた休暇。カカシと向かい合って蕎麦を啜るのんびりした年越しを、なんて、そんなことに浮かれていたのはもしかして自分だけだったのだろうか。自分の都合だけで物事が動くわけでもないのに、自分と同じ気持ちでいてくれなかったカカシに少し恨みがましい気分になる。自分の子供っぽい感情に、振り回されてるなあとうんざりしてしまう。
祠の前、通る人は誰も居ない、深々と一人、身体の先からちりりと冷えてゆく。
夜の闇は、怖くはない。一人で明かす闇を、十二の頃からもう、幾度と無く数えていたから。
不意に凍えた北風が、足元を通り抜けていった。かさこそと暗闇で、枯葉か紙屑か、風に飛ばされてゆく音が鳴った。冬の夜空の下、すっかり冷え切った黒髪が揺れる。それっきりまた、しんと静まる闇の中、空は相変らずなにひとつ瞬いてはいない。
十二の頃から夜の孤独に慣れた、忍になって諦める事に耐える事に、何も望まない事に慣れた。
けれど。
また、同じように二人で、炬燵に向かい合って蕎麦を食べられるだろうか、とふと思う。そんな事を思ったのはこの闇の所為、この闇の中、思い出してしまった過去の所為。きっと。突然にイルカの人生から消えた両親、奪われた未来。ああそれが、もう一度来ないなんて誰にも言えない事なのに。
当り前だろうと心が言う、信じちゃいけないと頭が諌める。
遠い空の闇を地上の夜を、滲ませて呼吸が規則正しく繰り返される。なんともくだらない事を考えた、早く来過ぎてしまったからだ。一人いないだけなのに、なんだかがらんどうの寒々しい自分の部屋が不自然すぎて、どうにも不安に駆られてしまって、逃げ出してきたからだ。こんな夜に、一人は淋しすぎるのに。
早く来い。
暗がりに目を凝らす、辺りは暗いだけでなくどうにも静かすぎて、いつもならイルカは騒がしいより静かな方を好むのに今夜ばかりは、この人通りの少ない道が恨めしかった。
カカシはまだ来ない、来るはずもない、だって約束した時間は三十分以上も後だ。でもきっと来る、きっと来るから。そんな、当り前のことをなぜか心で切望した、来るに決まっている、明日も明後日もずっと。
イルカがそう望みたいだけだとしても。
凍るような北風が、また髪を揺らした。ここはなんて寒い。眼前の闇は深く、イルカは訳も無く悲しくて、泣きたくなってしまった。ホントに、馬鹿みたいだ。声に出して呟いたら、深い墨色の闇に白く溶けていった。ふわりふわりと滲んで消えて、鼻の奥がつんと痛かった。


いつの間にやら約束の時間だったらしい、どうやら道の向こうから来る気配は待ち人のもので、なんとも忍らしくも無い様子の、カカシがのんびり歩いてやってきた。馬鹿みたいに安堵して、イルカはほうと肩の力を抜いた。ひらひらと闇に、銀の髪が近づいてくる。ああ、ああ良かった。
遅いですよと殊更に明るい調子で声を掛けると、カカシはひょいと肩をすくめて「時間ぴったりだったと思いましたけどね」と、イルカの髪に手を伸ばした。なんでイルカ先生こんなに冷えてるの、なんて。両手で頭を包み込まれる、その温かい優しい仕草にイルカはくすりと笑ってもう一度、馬鹿みたいと呟いた。目の前の顔が、びっくりしてそれからちょっと悲しそうに「オレのこと?」なんて聞くもんだから、イルカはけらけら笑って、いいえ秘密ですって囁いた。秘密ですよ。言葉が真白に滲んで消えていく、今度はちっとも淋しくはなかった。
そして、ようやく歩き出しながらカカシが呟く。「デート、してみたかったんです。待ち合わせて」 そんな可愛い事を言うものだからイルカはすっかり、さっきまでのカカシへの苛立ちなんて綺麗に忘れてしまって、そんな子供っぽい恋人の手をぎゅっと握り締めて、「デートの待ち合わせなら遅くとも二十分前には来い」と、厳かに申し渡したのだった。






里の外れの丘の上。周囲がうっすらと明るんでくる。
墨色だった世界が白々と、ゆるやかに鮮やかに色付いてゆき、呼吸をはじめる。







そして世界の始まりに





2006.05.03
イベント無料配布。