いいかげん、言うこと言ったらどうですか

今朝。
「今日は寒くなるでしょう」なんて、TVのニュースキャスターが画面の向こうからいつもと同じ口調で微笑んでいた。





一年で一番寒い日の話







さっきアカデミーで見かけたカカシさんときたら、こんなに寒い日ですら相変わらずいつもの格好で上着の一枚も着ていなかったから、こちらは正反対にもこもこと丸いナルトが「見てるだけで寒いってばよ!」とわざわざオレのところに報告に来て、ぎゃあぎゃあ騒いでいた。
うーんナルト、お前は着込みすぎだよ。
きっと、カカシさんは上忍だからこのくらいの寒さには動じないのだろう。

それでもやっぱり普段のあの人の言動からなんとなく、こんなことになるんじゃないかな、くらいの予想はしていた。んだけれどね。



冴え冴えと、冬の星座が夜空を彩り始めていた。

「イルカせーんせ」
声をかけられた時はすでにイルカの背後の至近距離に、カカシがいつの間にやら立っていた。いつものことながら、あまりの唐突さにギョッとしてしまう。
いくら向こうが上忍でこちらが中忍だといっても、こうやすやすと背後をとらないで欲しいのだが。
ちょっと情けないよなオレ、とイルカは心の中で溜息をついて、ゆっくりと振り返る。カカシはそんなイルカの様子を気にすることもなく、にこにこと、相変わらず何を考えているのかわからない笑顔で「ねえ今帰りですか」なんてイルカに話し掛けた。わざわざ聞かなくとも、もうすっかり日も落ちた冬の午後6時、校門からまさに外へ出ようとしていたイルカがじゃあ一体これから何をするように見えるのだろうか。と、時々この人変な事言うよなーと思いつつイルカは「そうですよ」とそっけなく返した。カカシは、昼間イルカが見かけた時となにも変わらない普段通りの忍服姿で、にこにこと微笑みながら寒い夜空に白い息を吐きだして、どうやらイルカを待っていたのだろうか、耳や鼻の頭は真っ赤になっていて、すいとイルカへ伸ばされた指先は氷のように冷たかった。およそ生きている人間の指とは思えない冷たい感触に、触れられたイルカの手がぴくりと揺れる。身を切るような冬の夜風にカカシの銀色の髪がなびいて、それが殊更に寒さを強調してイルカの目に映った。
それなのに当のカカシは一向にこの寒さを気にはしていないふうで、「良い夜ですね」なんてつまらない事をイルカに話し掛けてくるのだ。ぐるぐると首に巻きつけたマフラーに鼻先を埋めてイルカはカカシをじっと見つめた。一体この上忍が何を好き好んで自分にこうして構ってくるのかよく分からなかった。ただいつものように「そうですね」となんとなく相槌を打つ。マフラーに遮られてもごもごと、こもった声が冬の空気を揺らす。
相変わらずイルカの周囲の人間は口を揃えて「カカシと幸せになれよ」だなんて言うがイルカには何を言われているのかさっぱり分からない。そんな事を言う人間に出会うとイルカはいつも、相手が何を言いたいのか知りたくてじっと見つめる、見つめているといつも何処からかカカシがやってきて間に割り込むようにすいとイルカに寄ってくる、そしてイルカに今日の天気だとか昨日の夕食のこととか、どうでもいいような事をせっせと話し掛けてくるから、その間に相手はイルカと話すのを諦めて何処かへ行ってしまうのだ。
いつもそんな繰り返しだった。
そうして行き場の無くなったイルカの視線は自然カカシに向けられて、なんだ結局いつもオレが見つめているのはカカシさんなんじゃないか、とじっと握られた手を見つめながらイルカは思った。たまには顔以外を見つめたっていいだろう。触れ合った皮膚からじわりとカカシの体温が伝わってきて、いつの間にかさっきまであんなに冷えていたカカシの指先はイルカの手の平よりも少し温かかった。「今日は寒いからうちで一緒に鍋でもどうですか」なんて、本当に寒いと思ってるのか、のんびりした口調でカカシがそう言った。ああこの人でも寒いと感じるのか、とイルカはちょっぴり驚いてカカシの顔を見る、イルカと視線が合うとカカシは嬉しそうに笑って、その鼻の頭が赤いからイルカも少し笑った。
不意に強い北風が、二人の足元を吹き抜けていった。
イルカのコートがばたばたと揺れる。「ああ寒い早く帰りましょう」とカカシが言って、「寒いってあなた何でコートの一枚も着てこないんですか」とイルカが呆れた口調で返す。
「風邪引きますよあなた」
曖昧に笑いながら「うーんちょっと寒いかなー」とおよそそう感じているとは信じられないようなのんきな口調でカカシが呟いて、それからイルカをじっと見つめた。見つめるのも見つめられるのもいいかげん慣れてはいたが、それでも何を考えているのかわからないカカシの視線は居心地が悪くて、イルカはもじもじと身体を揺らした。握られた手は離される気配すら無く、このままカカシの家まで繋いだままなのだろうか、と、不安が頭をよぎる。大の男が手を繋いで歩いている姿なんて、およそ生徒には見せられないしそうでなくとも、幸せになれよと言う輩がこれ以上増えるのはイルカにとってあまり好ましい事ではない。からかわれるのは大嫌いだった。「ねえそうだイルカ先生」とカカシが不意ににんまり笑ってイルカの腰に手を回してきて、ぼんやりと考え事をしていたイルカは咄嗟に何を出来るわけでもなく体が固まってしまう。ああ手を離してもらえてよかったなとか、そんなのは些細なことでそれより今度はイルカにぴったりとくっつくように寄り添ったカカシの体温が予想外に随分と温かくて、なんでコートも着ていないのにこんなに温かいのだろうかとか、イルカの頭の中はぐるぐるとそんな事を考えていた。
冬休み中のアカデミーはしんと静かで、もう残っている者も数えるほどしかいない。灯りも殆ど落とされていたからあたりは人影も無く暗く沈んでいた。時折、風に乗って枯葉が地面を滑っていく乾いた音が聞こえる。いつの間にかカカシの両手がイルカの首からマフラーを外していて、外気に晒されたイルカの首筋がぞくりと寒さに竦んだ。「ちょっとなにするんですかあなた」声を荒げるイルカにカカシが囁いた。
「ねえイルカせんせ、あっためてよ」
そういえば、とイルカは不意に思い出す。そういえば受付のくノ一達が前に、カカシの声は色気がある、ときゃあきゃあ騒いでいたっけ。耳元で囁かれてみたい、と頬を染めて言う彼女達が羨むだろうまさにその状態で、不覚にもイルカもあの時のくノ一達のように頬を染めてしまった。実際、今まで気にも止めていなかったが口布を取ったカカシの声は低く甘く、そんな声で囁かれると背筋がぞくりと粟立つ。硬直するイルカにぴったりとくっついたまま、カカシが今度はマフラーをぐるぐると首に巻きだした。ただし、今度は二人の首筋に一緒くたに、だ。イルカのマフラーは寒がりのイルカがわざわざ特別に長いのを探し出して買った物だったから、もしかしてカップル用マフラーとかそう言った類のジョーク商品なのかもしれない、二人で巻いてもなお余りあるくらいに、それはたっぷりと長かったから、あれよあれよと言うまに二人の首はその長いイルカのマフラーでくるりと包まれてしまった。「あったかいなー」カカシのはしゃいだ声がまたイルカの耳をくすぐって、イルカは一体なんの冗談だろうと硬直したまま、寒いのなんてもうすっかり忘れてしまっていた。カカシのことだからこのまままるで恋人のように寄り添って歩いたりだとか、もしかしてキスしてくる可能性だってある、なんだかそんな予感がひしひしとして、カカシがイルカをどう思っているかなんてとっくにイルカにも分かっている、ただせめて、キスするのは家に帰ってからにしてほしいとか、そんな事を言い出せるはずも無くイルカは、次第に近づいてくるカカシの唇を見つめながら、ここから逃げる術を大急ぎで考えていたのだった。







2007.08.12
真夏に真冬の話でした。気分だけでも涼しく。