夏の音、夏の味、夏の匂い。

もしも、この夏の空に






その日、地上はこの夏の最高気温を記録した。


ゆるゆると、この暑さに時間まで溶けていくような、そんな錯覚にふと眩暈を覚えた。
木陰に設えられた小さな卓子と揃いの椅子。
木洩れ日にきらきらと、一面に透明な水滴をまとったグラスの中では、そこだけ涼しそうな顔をして、透き通った氷がカランと揺れる。
グラスに差しっぱなしのストローを行儀悪く齧って、咥えたままでカカシがうめいた。

「暑い…暑すぎる…もうオレ溶けそう」

傍らではうんざりした表情で、読んでいた本から顔を上げたイルカが、カカシを見遣り大仰に溜息を吐いた。

「溶けたら、少しは静かになるんじゃないですか」

ひどい、とカカシは殊更に情けない顔をして、椅子にがくりと凭れかかる。
太陽はちょうど天辺で、それでなくとも夏の盛りだから、皆一様に涼しい室内で休息を取るこの時間帯、木陰に座る二人の他に、辺りには動くものの姿は無かった。
唐突に、どこか木の幹で油蝉が鳴き出す。
蝉の声というのは聞こえていてもいなくても、いつの間にか慣れてしまうもので、どうやら先程からぴたりと鳴き止んでいた事に二人ともまったく気付いていなかったから、だからあまりに驚いて一瞬時が止まってしまったようで、思わず視線を見交わしてしまう。
昆虫の小さな身体にはまるで不釣合いな大きな鳴き声、つられたのか周囲の木々からも競うように蝉達が鳴き出した。蝉時雨とはよくぞ言ったものだ。

「ああうるさい」

カカシがまたストローを噛みながら眉を顰める。硝子の中では涼しげな泡を立ち上らせて、薄水色の曹達水がまだ半分ほど残ってはいたが、先程からちっとも減らずに、ちりちりと微細な音を立てて氷が液体へと変わっていくばかりだった。
イルカはそんなカカシの仕草に少し眉を上げたきり、もう好きにすればいいとばかりに、別段口を開くこともなくまた手元へと視線を戻す。
蝉の声の合間を縫って、頁を繰る音が時折静かに聞こえてくる、真昼の庭で。
カカシが、溶ける溶けると言いながら卓子に突っ伏すようにして倒れ込む、伸ばした指の先は、向かいに座るイルカの腕に触れるのにはもう10cmほど足りなかった。
どちらかが動かした靴の下、夏草が微かな音を立てて、植物の咽返るような夏の匂いがした。
鉄製の卓子はつかの間、冷やりと心地の良い感触をカカシの頬に与えてくれたが、次第に彼の体温を温く移してきたので、カカシはしぶしぶとまた上体を起こす。
大きく伸びをすれば、濃い緑の向こうで、原色の夏の空の青が鮮やかに目に映った。
卓子の向こう側で、カカシの事など意識の向こうに追いやってしまったように手元の本に集中するイルカに、

「ねえオレ、アンタの主人じゃなかったっけ」

カカシが首をかしげてそう問えば、ちらりとも視線を上げることなく、

「そうですよ。あなたが主人らしい事をしてくれればね」

何とも冷たく返されてしまう、少しは構ってよとぶつぶつ言いながらカカシは齧りすぎて吸い口が潰れたストローで、グラスに半分ほど残っていた曹達水を勢いよく飲み干した。
夏の味のする透明な液体をずずっと音を立てて吸い込んだら、イルカに行儀が悪いと顔をしかめられた。

「もうオレ溶けちゃったから聞こえません」

一呼吸のちにイルカが読んでいた本を振り上げた、小気味良い音が響いて真っ青な夏の空に吸い込まれていった。
ひどいや主人なのに、とうめくカカシを見てもう一度、イルカはやれやれと溜息をついた。

「ああ、なんでこんな人を選んじゃったんだろう」

もう一度手を伸ばし、今度はそっと銀色の髪を撫でたらなんとも嬉しそうに、カカシがにっこりと微笑んだ。





2006.06.22
十二国パロです…。きっとこの主従関係は、いつだって麒麟が圧勝だと思う。