獄ヒバ合同誌より。

 並盛中学校の風紀委員会は些か変わっている、と他校にも有名だ。
 およそ風紀とは縁遠そうな不良たちが集まって、風紀を取り締まる。果たして取り締まれるのかと疑問も湧くが、自分たちを蚊帳の外にしてしまえば他の生徒達を決まりの中に押し込めるのは力に物を言わせて造作もなく出来る。纏める側に力があればこそ、他校に睨みを効かせて学校間の揉め事が起こらないようにするのも簡単だ。ただし、自分達が揉め事の渦中にある場合は話は別だが。
 そうして恭弥は、その力の頂点にいる。
 雲雀恭弥の前を横切るな。後ろに立つな。話し掛けるな。触れるな。近寄るな。
 他にも似た類の事は山のように、恭弥の周りで勝手に申し送られている。人間なんて大嫌いだったから、それは恭弥にとってなんとも都合の良いものだった。安穏として快適であった。気持ち良いくらいに、孤独だった。このまま卒業までこの日々が、続けばいい、そう思っていたし、実際に続かせるつもりだった。
 獄寺隼人が並盛中学校にやって来た時、あまりにさらりと恭弥に話し掛けてきたので、驚きすぎて威嚇するタイミングを失って。そのまま今でも失い続けている。そういう事なのだろうか。今、此処に隼人がいて、恭弥がいて。閉め切った部屋に二人きりなのも、こうしてソファの上で絡み合っているのも。
 窓の直ぐ傍の床の上ではきらきらと、毛足の短い古びた絨毯の、その毛羽立った先を光らせるように夏の太陽が眩しい光を投げかけていた。
 光が強ければ影もまた強い。応接室の大部分には暗く陰が満ちて、夏の高い太陽に照らされることもなく、ひんやりと暗かった。暗いと言ってもそれは外の明るさとの比較で感じるだけであって、室内も十分な明度で容易に周囲は見て取れる。見える自分の周囲の一番間近には隼人がいて、それがあまりにも近すぎて、今度は逆に見えなかった。なかなか世界は手強く出来ているなと、恭弥は思った。
 夏の色をした青空、誰もいない夏のプールは水面が静かに凪いで、そこに夏の陽射しが眩しく反射して水紋を写し取ってきらきらと揺れる。この応接室は三階にあったからまさか此処まで反射した光が届くはずもなかったけれど、隼人の肩越しに見上げた天井の、まだ微かに薄く残った紫煙がゆらりと時折揺らめく様がなんとなく、さながら反射した水の揺らめきのように、まるで水の中から見上げているみたいに感じられた。
「なあ、俺のこと気になる?」
 さっきと同じ問いを、まるでさっきと違う調子で隼人が繰り返す。その声に滲む苛立ちに少しだけ目を見開いて、だけど恭弥は何も答えないまま、ピントの合わない視界に隼人の顔を映して、少しだけ身動ぎをした。
 ダメだ、と不意に強く思った。このまま流されてはダメだ。このまま流されてはいけない。
 恭弥が突然に腕を振り上げたので隼人の腕から力が抜ける、指が白くなるくらいに強く握られたままだったトンファーは痺れていたのか少しコントロールが狂って、隼人の背を掠めてソファの背にぼんと当たった。
 そのままやけくそのように恭弥の腕が隼人の背に強く回る、ぐいと力を込めて引き寄せれば隼人の体重がそのまま恭弥の上に降ってきた。
 クーラーで冷えた恭弥の身体にゆるゆると隼人の体温が染み込んで、じんわりと温かかった。意味もなく安堵した自分の気持ちに苛立った。
「プールに入ったんじゃないの?」
 恭弥もまた、さっきと同じ問いを繰り返した。
 さらさらと恭弥の頬をくすぐる隼人の髪は、これっぽっちも塩素の匂いがしなくて、あの消毒剤がふんだんに溶け込んだ水には浸かっていないのだと、直ぐに知れた。
「ヒバリがいないプールにいたってつまんねえよ」
「だったら」
 さっきの声は何だったのか、と急いて尋ねてしまいたい衝動を無理に押さえ込んだ。そんなのはまるで自分らしくない。
 恭弥が言い澱んだその先の台詞がまるで分からない、と隼人は焦れたように呟いた。
 重なった身体、耳からより先に身体に直接響いてくる隼人の声は、煙草の吸いすぎなのか少し掠れていて、その声が色っぽくてたまらないといつか女子生徒たちが騒いでいたな、と恭弥はふと思い出す。
 益体も無い事ばかり考えてしまうのは、本当に考えなければいけない事から自分が目を背けているせいなのだろうか。
 鼻腔をくすぐるのはよく知った匂い、ああ煙草の匂いが移ってしまうなと、少し困った。此処に猫はいない。猫はいなかったけれど隼人がいる。なに考えてんの、と隼人が言った。何を考えているんだろう、と自分も思った。
「君は僕のこと、好きなんじゃないの」
「好きだよ」
 間髪入れずに返ってくる言葉の、その声も言い方も何もかもが軽い気がして、どうせ女の子相手に言い慣れた言葉のひとつなんだろうと恭弥は思った。さっき、窓の下で喋っていたあの口調と、そのまま一緒だったから。
 もう一度唇に柔らかな感触がして、そのまま深く重ね合わされる。絡む舌の苦い味、それすら慣れて当然のように受け入れている自分が、どうしようもなく哀しくて、わざと乱暴に隼人の口腔を舐め回した。
 重なった唇の隙間から、ぴちゃりと濡れた音が漏れて応接室に響く。
 ワイシャツの下に潜りこむ指先はいつだって器用で、じわりと冷たいのは隼人の指にいつもはまっている指輪が自分の肌の上を滑っていく感触、よく知っている、胸の先を探り当てられて抓むようにして弄られる、恭弥の肩がぴくりと震えた。

 肌を合わせるようになったのはいつからだったろう、恭弥が屋上や校舎の裏や特別教室や、一人でぼんやりしていると、ふらりと隼人がやって来るようになった。
 ヒバリ、なんでもない調子で自分の名前を呼んで、そのまま少し離れた場所にいる、それがあまりに自然だったからいつのまにか当り前になっていた。
 時折、言葉を少し交わした。好きだと言われて、そう、と返した。他に何を言えば良かったのだろうか。

 指が恭弥の左右の胸の間を彷徨う。辿るその痕がそのまま発熱したように熱くなって、ちらりと尖端を指先が掠める度に息が弾んだ。
 隼人のもう片方の手は恭弥の髪の中に潜って頭を引き寄せる、口付けはまだ続いていた。混ざり合った唾液が溢れる。
 舌先で上顎を舐められて咽喉が鳴った、後頭部に回った隼人の手の中に、全てを握られたような気分だった。
 重なった身体はしっかりと隼人一人分の重さで、その確かな感触に恭弥は少し安堵する。
 足の間はすでに張り詰めていて、制服のズボン越しにぐいと擦り合わされたその熱さに、眩暈がした。
「――ヒバリ」
 急いたように隼人の唇が恭弥の首の辺りを這い回る。舐められてその感触に背筋がぞくりと粟立つ。
 隼人は、本当は何を好きなのだろうか、自分かそれともこの行為か。
 応接室の古びたソファの上で、自分達は昼日中から一体何をしているのだろうと、可笑しくなって恭弥はくくっと笑った。
 扉に錠はしっかりと掛かっているから誰に邪魔される事も無い、誰が訪ねてくる事も無い。
 いつのまにか全部外されたワイシャツの釦、前を大きくはだけて横たわる恭弥の胸元を隼人の舌がぺろりと舐める。温かくて、すぐに冷やりとなる濡れた感触、冷たいのは嫌だったから、もういっそずっと舐めていてくれればいいのに、とそう思った。恭弥の頭の中を覗いたのだろうか、隼人がくすりと笑ってもう一度舌をぬるりと胸の先に落とした。
 男同士でやるのなんて、自慰と何が変わらないんだ、と考える。そもそも性行為とは子供を作る過程の行為であって快感や責任や後悔や、いろんなものがそれに付随してくるけれど、単純に受精のために必要な事で、根本で考えればそれは男女間で成り立つ行為なのだと思う。
 じゃあこれはなんだ、と問われればやはり自慰の延長なのだとしか言えない。それが、こんなに優しくて切なくて苦しくて、およそ快感だけ求め合うだけの行為ではないと、頭の隅で気付いていても。
 隼人の指先が恭弥のベルトにかかって、指輪とぶつかってかちゃりと金属音を立てた。
 恭弥も上手く動かない指で隼人のベルトを外そうとする。先程まで握りしめていたトンファーは、とうにソファの下に転がっている。
 性急にファスナーを下ろして下着から、お互いの硬くなった性器を引っ張り出す。熱いその先に指を絡めると、お返しとばかりに隼人が胸の尖端に歯を立てた。
 そのまま互いに握り合って擦り合った。卑猥に湿った音が響いて、どうしようもなく熱を放出したい衝動に身体が震える、恭弥は眩暈を覚えながら手も腰も動かし続けた。心臓が痛い、この痛みはなんだろうと思った。
 動悸が激しくて、胸元に頭を寄せた隼人に聞こえるんじゃないかと、そんなことが気になって、また、なに考えてんのと繰り返された。
 声なんか出してやるものか、それは恭弥の馬鹿げたプライドかもしれなかったけれど、これで自分が何か口走ってしまったらと思うと怖くて口も開けない。女たらし。じゃあ女好きの隼人がなんで今、自分の上で息を荒げているのかなんて、考えても分からないから考えるだけ無駄だ。
 隼人の、好きだという言葉の行き付く先が見えなくて、恭弥は自分の中の小さな声に耳を傾ける事はしなかった。
 程無く、二人分の熱が重なった身体の間に飛び散った。独特の匂いがそれ以外の全ての匂いを掻き消して、染み付いているはずの煙草の匂いも、感じられなかった消毒剤の匂いも、全て分からなくなった。
 脈打つ鼓動が、耳の直ぐ裏をごうごうと流れる音が聞こえる。上がる息を抑えて、緩慢な仕草で髪を掻き上げる隼人を見上げる。

「さっきプールで」
 ひとつ大きく息を吸ってそう呟いたら、隼人がまだプールなんだ、と笑った。ああそうだ、プールプールとさっきから言っているのは全部自分だった。
 プールで、と言ったところでその後が続かなかった。恭弥が口篭もる姿を見て何を思ったのだろう、出すものを出してすっきりしたのか、先程までのけんのある表情も消えて、隼人はやっぱりいつもの飄々とした顔でこちらを眺めて笑った。
 笑いながら飽きずにまた唇を寄せてくる。好きだなんて眩暈のするような世迷言はもう言わなかった。聞きたくなかったから恭弥はほっとして、大人しくその唇を待った。
 訪れるタイミングに待っていた感触が降ってはこない事に、あれ、と瞼を上げれば隼人の顔が、口付けるには些か遠すぎる距離にあって、恭弥の視線ににやりと笑う。
「で、プールがなに」
 ふざけるなと言おうとしたところを絶妙のタイミングで遮られて、逆に問い掛けられた言葉に、ふうと恭弥は溜息をついた。
 なんで自分はこんなにも気にしているのだろう、こいつが何をしていたところで、こちらにはまったく関係が無いのに。
 吐き出された精液は恭弥の腹の窪みをとろりと流れて、同じ白なのに二人分のそれが混じり合ったのが、なんとも卑猥な色をしていると隼人が笑って言った。
 ぬるりと指で掻きまわされるようにされると、腹の上でこれ以上無い程に混ぜられていく体液の感触にか匂いにか、また下腹が重く熱を帯びてくる。
 視線を動かせば窓の向こうでは、夏の空に大きな雲が、精液と同じ色をして浮かんでいた。
 ぬるりぬるりと腹の上を指が這う。クーラーの冷気にもなお冷やされない先程からの身体の熱は、一度出したからかずいぶんと落ち着いてはいたけれどもまだ足りない、と隼人の体温を感じながら恭弥は思った。
 思い出したように隼人の唇がまた動き出す。耳を引っ張られそのまま噛まれて舐められる、ぴちゃぴちゃと流し込まれる濡れた音とちりりと刺激される痛覚にすら、煽られてどうしようもなくなる。  恭弥はソファの上でだらしなく足を広げたまま、半端に脱がされた自分のシャツとそれから隼人のシャツも、ずるずると不自由な体勢で引き抜いた。
 目の前の裸の胸に指を滑らせる。あまり焼けてはいない隼人のどちらかといえば白い皮膚の下で、滑らかに動く筋肉が少し緊張して恭弥の指の動きを追っていた。
 制服のズボンはとっくに二人とも膝の辺りまで下がっていて、それと下着を纏めて蹴り落とす。ソファの下で二人分のワイシャツとズボンと下着が、だらしなく丸まった。
 ねえちょっと靴下も脱ぎたいんだけど、と言うと隼人は、履いてれば、と笑った。
 広げた恭弥の足の間までぬるぬると、滑る指は降りてきて、いつの間にか先程のように隼人の手に恭弥が握られていた。軽く上下に擦られる、硬い指輪の感触が快感となって脳に響いた。
 上がる息、縋るものが欲しくて恭弥の腕が頭上に伸びる。指先が隼人の髪に絡んで、柔らかな手触りのそれをぎゅっと掴むと、キスしたいの?と隼人がからかうように言って舌を伸ばしてきた。睨むと唇をぺろりと舐められて、ゆっくりと隼人の唇が重なる。
 口腔を乱暴に舐めまわされる。舌を強く吸われて、煽られる熱に、ひくひくと腹筋が動いた。隼人の髪を強く握りしめたら、痛いと笑って囁かれて、優しい仕草で指を開かれる。
 隼人のも、と恭弥が片方の手を伸ばすと、そのまま引かれて恭弥自身をも纏めて握らされた。重なった性器の、互いの硬さと熱さにくらくらした。
 シャツの下に隠れていた隼人のネックレスの、小さな銀のプレートが恭弥の胸を掠めて揺れる。今更だけど、どこまでこいつは校則違反を重ねているのだろうと、呆れたように恭弥は笑った。そんな奴とこんな馬鹿げた事をしている自分自身に呆れて笑った。
 裸の身体を重ねるのは随分と気持ちが良くて、それだけでうっとりしてしまう。誰かの体温を感じる行為というのはそのまま快感に繋がっているのか、と不意に気付いて、じゃあ自分はこいつがいなくなったらどうすればいいのかなと、そんなどうしようもない事を考える。
 すべて隼人がいけないんだ、掴んだ髪の毛をもう一度、ぐいぐいと力を込めて引っ張った。考えた自分にひどく腹が立った。
 がくがくと腰が揺れる、感情のままに荒く動かした恭弥の手の中で二人分の熱が硬く張り詰めている、先端を弄れば、濡れた音が先程よりも大きく部屋に響いた。
 隼人の指が恭弥の後ろの穴まで伸びてきて、その触り方がいつだってこの時だけは臆病なくらい優しい事を、恭弥はとっくに気付いていたけれど隼人は一体いつ気付くのだろうかと思った。そんなにそっとしなくたって、自分はちっとも構わないのに。
 ぐいと一本、指が捻じ込まれる、なんとなくタイミングは分かっていたから力を上手に抜く、ふっと息を吐いて衝撃をやり過ごす。痛みは無かった。慣れたものだ。
 自分の身体の中でぐるぐると動く指が、ぐいと内壁を押す度に内臓が上がってくるような圧迫感があって、それが確かに気持ち良いと、恭弥にはそう感じられた。
 動かされて抜き差しされる排泄感が、快感だと最初に気付いたのは誰だったのだろう。遠い昔から人間は排泄器を性器として扱っていて、だのにこの行為は性行為とは呼ばれない。ただ快感を得るための行為に過ぎない。
 指が二本に増やされて、恭弥の中で好き勝手に動き回っている。性器を扱く恭弥の手の動きが止まると、咎めるように指は強く奥まで差し込まれるから、恭弥は快感にびくりと震えながら、一番感じる先端に自分の指先を押し付けて懸命に擦った。
 抜き出される度に反射的に締め付けていた後ろの筋肉も、何度も掻きまわされるうちに次第に柔らかく弛緩して、内壁がねっとりと隼人の指に絡みつくのが、自分自身でも感じられた。
 緩んだところを乱暴なくらいに出し入れされて、柔らかくなればなっただけ、もっと太いものが欲しくなる。ぬるぬると滑る性器を懸命に扱いて、時折隼人が潤滑液代わりに二人の体液を指で掬っていく、その予期しない指の動きに恭弥は大きく息を喘がせた。
 三本入っていた指が抜き出される頃には、体中の力も抜けて、ぽっかりと開いた穴がこれから入れられるものを期待してひくりと震える、恭弥の手の中からはずるりと隼人の性器が出ていって、体液がねっとりと糸を引いた。
 そのまま両足を持ち上げられると高く腰が浮いて、構える間も無く、少し身体をずらした隼人がぐいと恭弥の中に入り込んできた。
 咽喉が詰まるようなものすごい圧迫感があって、でもそれ以上に満たされた充足感にうっとりする。指とは違って太いものが内壁全体を擦ってくるから、どこもかしこも気持ち良くて恭弥はぎゅっと眼を瞑った。頭のてっぺんまで快感にぴりぴりしていて、おかしくなりそうだった。
 しがみつくようにして隼人の腰に足を絡めるとなんだか感触が違う、そういえば靴下を履いたままだったなと気付いて、今自分は随分と滑稽な格好なんだろうと思った。
 卑猥としか言い様の無い音がぬちゃぬちゃと下肢から響き続けている、時折、思い出したように隼人の指が恭弥の胸の尖端を引っかいて、その度に恭弥は咽喉を鳴らしてぎゅっと後ろを締め付けた。
 古びたソファはぎいぎいと耳障りな音を立てて軋む、自分の性器に絡ませたままの手を忙しなく上下させると、そちらからも、泡立ったような濡れた音が立った。
 荒い呼吸とそれ以上に激しい身体の動きに、涼しい筈の応接室でいつの間にか二人とも汗まみれになっていて、そして部屋に満ちた濃密な空気が、ああ今セックスしているんだなと、感じさせる。
 たとえ男女で無くたって、これはきっちりと性行為なのだろうと、そう恭弥は思った。でなければこんなにも快楽をお互いに分け合える筈がない。
 視線を上げれば揺れる視界の中、隼人の栗色の髪が首筋に張り付いて汗が光っていた。快感を滲ませた表情で恭弥を見つめている、今、隼人が好きと言ったら自分はそれを信じるのに。そう思いながら恭弥は、汗に濡れた隼人の髪をぐいと引き寄せて唇を重ねた。舌を絡ませたら微かに煙草の味がした。
 隼人の動きが何かを追い立てるように速くなって、恭弥もそれに合わせて手の動きを速める。
 二人の荒い息が、なにかのタイミングでぴったり重なって、少しだけ心まで重なった気がした。火照ったように熱い皮膚、くっついた部分から温度が溶け合って、今、多分同じ体温だよねと思う。
 最後の瞬間に隼人は恭弥の中からずるりと自分の性器を引き出して、最初に出した精液の上にまた同じように飛び散らせた。恭弥もまた、同じように自分の手の平に熱を吐き出した。

 そのまま恭弥の上から脱力したようにずるずるとソファの下に滑り落ちて座り込んだ隼人が、緩慢な動作で傍らに放り出された制服を探る。ハンカチを取り出すと、そのまま恭弥の手の平と精液の飛び散った身体の上を、丁寧に拭き取った。そんなに優しくしてくれなくてもいいのに、と恭弥はもう一度思った。
 恭弥が重い身体を何とか起き上がらせると、足元に白い物が見えて、結局最後まで靴下を履いたままだったことを知った。視線を動かせば隼人も靴下を履いたままで、なんとも間抜けな格好に思わず吹き出した。
 汗をかいた身体がべたべたと気持ち悪かったが、熱が引くと冷えた部屋の空気にぶるりと身体が震えた。恭弥が言う前に隼人が下着から順番に手渡してくれたので、ごそごそと身に着ける。横で同じように服を着る隼人をぼんやりと眺めていると、
「――好きだよ」
 ぽつりと隼人が呟いた。
「いい加減ヒバリも俺の事好きになってよ」
「君、なに言ってるの。僕のことなにか勘違いしていない?さっき口説いてた子のところに行ってきなよ」
「口説いてたって何だよ」
 苛々と隼人が恭弥に向き直る。
 馬鹿にするのもいい加減にしろ、と泣きそうな心境で恭弥は、プールで、とまた繰り返した。
「プールで、さっきお茶に誘ってたのが聞こえたよ」
 なんて女々しいんだろうかと、震えそうになる声を抑えて、少し口を歪ませた。誤魔化されてなんかやるものか、今までにもう十分に誤魔化され続けた。この夏の空みたいに眩しく、誰にでも良い顔をしているんだろうに。
 女の子を誘うのと同じ口で僕に好きだなんて言うな、そう言うと、隼人は困ったような顔で、それは違うんだけど、と呟いた。
「僕はちゃんと聞いたよ」
「だから、俺が口説いたんじゃなくって頼まれて誘っただけなんだって」
 クラスの男子から、どうしても仲良くなりたいから声をかけてくれ、と頼まれたのだと隼人は言った。もちろん、きちんと誰からの誘いかは伝えた上でだ。
「何で君が誘うの」
「あーなんかお前こういうの得意だろって」
 やっぱり誘い慣れているんじゃないか、と恭弥が眉を顰める。隼人は情けない表情で、髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きまわした。
「だーかーら、なんで信じないかなあ。俺この学校に来てからずっとヒバリしか見てないじゃん」
だったらもっと信じられる言動をしろ、と思った。
「大体君が来てから、何回も君が女の子を誘ったとか女たらしだとか、報告を受けているんだけど」
 それはさっき言ったとおりの理由だし、と隼人が困りきった声で呟いた。
「皆、俺がイタリア帰りだからそういうの慣れてるんだろって」
 だってそんなのどうしようもないじゃないか。横顔がなんだか少し泣きそうに見えた。

 とりあえず床じゃなくてソファに座れば、そう言うと大人しく恭弥の隣に腰を下ろす。視線が同じ高さになって、これならきちんと隼人の心が見えるんじゃないかな、と恭弥は思った。
 さっき花瓶を叩き落した場所の、床の濡れた跡はもうすっかり乾いていて、散らばった花々の、百合の白とそこから零れた鮮やかに黄色い花粉が、褪色した赤い絨毯の上で不思議に美しかった。
「もう一度言ってよ」
 そう言って見つめると、隼人は少し吃驚した表情でこちらを向いて、それからふわりと優しい表情で笑った。
「好きだよ」
「もう一度」
「好きだよ」
「もう一度」
「好きだ」
 言いながら手を差し出された。戸惑って、そっと自分の手を重ねたら強く握りしめられる。伝わる体温。隼人の手は恭弥のそれよりも少しだけ大きくて、もう少し温かかった。
 僕も好きだよ、と恭弥は思った。言ってなんか、やらないけれども。


 きーんこーんかーんこーんと時限終了の鐘が鳴る。ひっそりと息を詰めていた校舎は賑わいを取り戻して、時間はするりと昼休みへと移ってゆく。
 好きだよ、ともう一度隼人は繰り返した。まだ全然足りないと恭弥が返すと、毎日言いに来るから、と楽しげに笑った。
 昼休みもこの応接室の辺りは静かで、休み時間の喧騒が、遠くから響いてきた。握られたまま手をどうすればいいのか分からなくて、結局握り返すこともせずに乱暴な仕草で振り解いた。ヒバリらしい、と隼人が面白そうに目を細めた。
 応接室は相変わらず快適に二十四度で、だけどその空気がなんだか重苦しい感じがしてソファを立つ。先程は開けられなかった窓を開ける、サッシを滑らかに動く大きな硝子窓の向こうから、存外に気持ちの良い空気がふわりと恭弥の身体を包んだ。
 少し湿った空気は夏の匂いがして、鮮やかな原色の空の下で、眼下のプールがきらきらと光って揺れていた。綺麗なものだな、と思う。あの野良猫はこんな綺麗な景色を、知っていただろうか。いつものように気配を探す事を、止めた自分に気付く、風が恭弥の頬をふわりと撫でていった。
 そういえば、とふと隼人が呟いた。
「前に埋めた野良猫の墓、ヒバリに教えてなかったよな」
 そのままソファから立ち上がって、恭弥の方へやってくる。隣に立って、えーっと、と外を見回す隼人に、
「いらないよ」
と、恭弥が言った。
「別に知らないでいい」
「だってあいつヒバリの知ってる猫だろ」
 うんだけど、と恭弥は笑った。
「君が埋めた場所なら、多分淋しくは無いだろう」
 だからそれでいい、そう言ったら、あー了解、と髪を掻き上げながら隼人が返した。なんだか照れているようで、面白いなと思った。恭弥の事を好きだと言った、最初の時の方がずっと平然としていた気がする。
 最初からそんな顔してればいいのにね、そしたら僕も、もっと早くに信じたのに。と、隼人を眺めて恭弥は思った。果たして本当にそうかは分からないけれど。
 それじゃあ、と隼人が言う。
「ちゃんとした墓作ってやりたいから、名前教えて」
 やっぱり墓だったら名前も必要だろ、と笑う。なんとまあ優しいこと、その優しさが、自分一人に向けばいいのに、そう思いながら、こちらに向けられた笑顔が、ひどく嬉しかった。
「名前?」
「うん。あれ、ヒバリあの猫に名前付けてなかったか?」
 なんでそんなことまで知っているのか、言外に隼人が自分の事をよく見ていたのだと知らされて、途端にどうしようもなく胸がいっぱいになる、どんな顔をしていいのかも分からずにぶっきらぼうに、恭弥は猫の名前を呟いた。
「はい?」
「だから、ポチ」
 途端に隼人が盛大に笑い出して、やっぱりさすがヒバリだ、と笑い声の合間にそう言った。
 隼人の髪が、陽射しに金色に透けてきらきらと揺れる、恭弥は眩しさに目を細めて、腹を抱えて笑う隼人の足を思いっきり踏みつけた。













2007.01.10
「Perche... era un ingenuo.」より。
99Lのナベさんとこのカップリングで非常に盛り上がった結果、作った合同誌です。盛り上がった割に、出来上がるまで一年以上開いてしまったという。
よくもまあ、本を出すぜというエネルギーが続いたものですね。執念深いのか私。
この二人は、好きという気持ちが前面にあまり出る組み合わせではない気がします。
だから可愛いというか。
愛しいというか。