ムショクに関する考察


ムショクに関する考察


午後1時の厨房は戦場だった。「だった」ではなく今現在午後1時半を回った今でも、まさしくそれは進行形である。

そこかしこに溢れる湯気と油と熱気と声とそれから雑多な音。この中からヒトの食べる物は生まれヒトの手によって作り出されたそれらはここから程遠くないどこかのテーブルに饗され咀嚼され嚥下されてそして、そのために自分はこうして働くのだ。その繰り返し繰り返し。日々は一寸も変わることなく淡々と過ぎてゆく。ふと考えるとなんともやるせないような感じ、見れば視線のはるか先、先程自分の作ったチキンコルドンブルーをまさに今頬張っているのはなんとも貫禄のついた年配の、レディの為れの果てのような女性であった。あのぶよぶよとした何かを作るために自分はあるのか。自分の存在意義はこの世界の片隅で誰かの弛んだ腹をほんの一瞬満たすただそれだけの為にあるのか。自分の時間は人生はこうして費やされてゆくのか。どこか全てに投げやりな感で些か疲れた面持ちでふうと溜息を吐きつつも、手は一寸も誤ることなくキャベツを刻みつづける。
何かを作る事への喜び。美味しい物をヒトに提供する事。生命の根幹に関わる生きていく上で欠かせないそれを自分は支えているのだ担っているのだ、そんな自負や何か、そんなのはとうに忘れてそんなのはとうに日々の繰り返しで擦り切れて残っているのは、ただのちっぽけな自分。料理を急かす怒声。皿の割れる耳障りな音。毎日毎日。
自分が望んだのは果たしてこんな日々だったのか。ただ時間に急かされひたすら作って作って作って作って。


「もう疲れたんだよね」


おでんの鍋越しに見やると湯気で揺らぐその姿がなんとも頼りなげで薄暗い部屋の中、どうにも蛍光灯の燈りでは彼の表情がよく見えずにそれでもなお、彼の作ったそのおでんは相変わらず素晴らしい味で食べるヒトを魅了したので、だからどうしても「じゃあ辞めたらいい」と言い出せずに会話は途切れ、二人じっと向かい合ってゾロとサンジは、いつものように遅い夕食を済ませたのだった。





20040630