この12月の空の下。

サンタクロースなんて信じないよ、と君は少し微笑んでそう言った。




メリークリスマスミスターサンタクロース






十二月の街はすっかりイルミネーションの華やかな洪水に飲み込まれて、歩く僕らはなんだかふわふわと漂うネオンテトラ、明るく照らされた水の底で群れて右へ左へと只泳いでいる、そんな心持になる午後三時。
師走だからなのか、なんだか喧騒も何処となく普段より、早送りのボタンでも押したように忙しない感じがする。
足元にはすっかり冬の気配、ひゅうと抜けていく風が僕の足から身体全体から少しずつ、熱を奪ってゆく。
寒い寒いと一人呟きながら早足で歩く、丁度目の前にコーヒーショップが見えて来た。
透き通った硝子張りの店内には僕と同じに寒さにどうにも耐え切れなくなったのだろうか、皆なんとも温かそうにコーヒーのカップを両手で抱え込むように飲んでいて、ああやっぱりネオンテトラだなあと考えながら僕もその群れに混じるべく、自動ドアの前に立つ。
ドアが開いた途端まるで別世界のような暖かさ、空調の吐き出す無機質にぬるい空気がふわりと僕を包んだ。それからむせかえるようなコーヒーの香りと。
赤や緑や白の飾りに溢れた店内では、カウンターの上になんとも小さなツリーがちょこんと飾られていて、やはり此処もクリスマスの勢力下か、と何気なく思う。

メリークリスマスメリークリスマス。だからどうした。

いらっしゃいませこんにちはごちゅうもんはおきまりでしょうか、などとにこやかな笑顔でお決まりの文句を唱える店員を前にぼんやりと立った僕は、何を飲んだらいいものやらすっかり途方に暮れてしまい、ああ困ったなと視線はうろうろメニューの上を漂う。眼に付いたのは甘そうな真白のクリームをたっぷり乗せたホットココア、普段の僕ならば絶対に頼まないであろうそれを、気付いたら口が勝手に注文していた。

サンタクロースのひげのようにまっしろ。

クリスマスクリスマス、と呪文のように唱えているとそのうちすっかりクリスマスというのが何なのか分からなくなる。実際のところ何なのか本当に僕には分からない、君はサンタクロースなんて信じないと言っていた。
カップをぎゅうと強く両手に抱き締めるとそこからじんわりと温かさが、皮膚を通して染み込んでくる。
暖かな空気に包まれて見る窓の外、少し曇った硝子越しに外の喧騒が滲んで遠い。
店内は静かに、漂う紫煙のかすかな匂いとそれよりもっともっと強く漂うコーヒーの香り。
香ばしいなんだか焦げ臭いような、小さな頃は苦手だったこの匂いも、でも今ではすっかり日常と化していたので、別段何を考えるでもなくああ良い香りだな、とそう感じただけだった。
流れるBGMは当り前の顔をしてクリスマスを歌っている。
とろりと茶色の液体を咽喉に流し込むと、ゆるゆると身体の芯の方がほどけてゆくよう感覚。
熱い甘い液体が僕を溶かしていくような。
上に乗っているホイップクリームは熱くも冷たくもなく強いて言うなら、君の唇の柔らかさで僕の体温とぴったり一緒、甘い甘いバニラの香りがした。
ゆるりと世界は穏やかに傾斜して次第に夜が近づいてくる。
さっき午後四時を知らせるアラームが微かに僕の腕で鳴ったから、君との約束の時間まであと三十分、早く時間が過ぎて欲しいような、このままずっと留まっていてもらいたいような。そんな気持ちがないまぜになっていて、今の僕はどうにも自分でも何をしたいのかすら、さっぱりだった。
もうじき薄暮の時間、世界は静かに青く透明に染まってゆく。僕はこの時間が大好きだよと、この前君にそう言ったらちょっと吃驚した顔で僕のことを一瞬君は見つめて、それからゆっくりと窓の外に視線を戻しながら、ああ、そうだねって綺麗な眼で空を見つめて君はそっと囁くように、おどろいたよ和谷が僕とまったく同じ事を考えていたなんて、ってそう呟いた。
あの時の君の顔、今でも覚えている。溜息が出るくらいに鮮明に。

ねえさっきはごめんねごめんね。

本当は今日の昼に会う約束だった。君と約束した十二時のベンチ、君は多分待っていてくれたのに、僕はそこから逃げ出した。そう逃げ出したんだ。
君に会いたくて会いたくて仕方が無くって、きっとそれは君も一緒、でも最近の僕と来たら自分が何をしたいかすらさっぱり分からない、いやきっと何をしたいかなんてそんな事考える余裕なんて有りはしない、君に会ったらきっとめちゃくちゃに際限無く色んな事をしてしまいそうで。そんな予感が強くする。今日はクリスマス、街行くカップルは皆互いの事しか見えてはいない幸せなオーラで、でもそれがまったく気にならないのはたぶんこれから君に会うから。会いたいのに、会いたくない。
最近の僕はとっても切羽詰っている、だから約束の場所に行く途中で僕は、君に渡すはずだったプレゼントを忘れてきたと気付いた瞬間に、くるりと逃げ出すようにして今来た道を戻っていたんだった。

なんでだか知らないけれど。

これから君に会う、あの角の本屋で「囲碁」かなにか立ち読みしている君の姿が眼に浮かぶよ、ねえ伊角さん。僕は大分ぬるくなったココアのカップをあいかわらず両手にぎゅっと抱き締めながらくすりと笑った。
ふっと夢から覚めるみたいにこちらに目を上げてそれから一呼吸、ふわりと微笑む君の顔がとても好きだよと、そう言ったら君はどんな顔をするんだろう。
約束の時間まであと十五分、僕はえいやっと気合を入れて精一杯元気なふうに立ち上がる、上着のポケットには青いリボンの小さな包み、中には小さな小さな置時計、君はこれに果たして喜んでくれるだろうか、喜んでくれればいいな、とそう考えながら僕はまた雑踏へと踏み出したのだ、ネオンテトラの群れを掻き分けて君の元へ。
メリークリスマスメリークリスマス。
サンタなんて信じちゃいなくたって。ねえ。




きみがいればぼくはしあわせ。






2004.12.26
和谷サイド。