好きって言いたい「何考えてるのか、ちっとも分からないんだもの」 保健室の真っ白な壁に、午後の日差しが柔らかく反射して揺れる。開け放された窓の向こうから聞こえてくる男の子達の歓声、野球をやっているらしい、バットがボールを捉える高い音とかすかな土埃の匂いが、白く透けるカーテンの隙間から風に乗って届く。午後の授業も随分と前に終わっていて、やってくる生徒もめったにいない、ここは静かだった。消毒液の匂い。 聞いているのかいないのか、先程からあちらの棚こちらの机へと忙しく歩き回る保険医に向かって、イノはもう一度呟いた。 「ホント、何考えてるのか全然分かんないよ」 あら、と面白そうな顔で保険医が振り返る、彼女の、黒々とした艶やかな髪が、白いこの部屋には綺麗に映える。 「なに言ってるの、だから男の子って可愛いんじゃない」 長い髪を揺らして艶然と微笑む保険医に、だって私にはそんな人生経験はないもの、とイノはすねたように口を尖らせた。ふわりとまたカーテンが風を孕んで大きく膨らんだ、白衣の裾が、リボンタイが、ひらりと揺れる。午後の光も壁に揺れて踊った。 消毒液の匂いの染み付いたこの真っ白な部屋に、まるでなんでもお見通しといった風情で笑うこの保険医はよく似合っていた。白衣の裾から伸びる綺麗な足が歩く様を、イノは羨ましそうに見つめた。私にはそんな経験、ないもの。 腰を下ろすパイプ椅子は時折ぎいぎいと軋む、まるで私の心みたいだ、とイノは思った。あいつの事を思う度に、悔しいくらいに心が軋んで切ない。バカみたいだ。 校舎の隅、用が無ければそれこそ、ひと月に一度も足を踏み入れないような、保健室とはそういう場所だった。静かで、別の時間が流れているような錯覚すら覚える。 なんだか教師とも違う雰囲気で気安い、友人には言い辛いような事柄を細々と話しに来るようになったのは、いつからだろう。気付けばイノはすっかり、ここの常連となっていた。秩序正しく詰め込まれた薬品、硝子戸に仕切られて並ぶ箱や壜に書かれる、暗号めいた文字の羅列。独特の匂い。壁際に置かれた、身長計や視力検査の機械達。 ことり、と目の前にカップが置かれる。甘い香り。床のリノリウムのひび割れを眺めていた視線を、上へと移す。いつの間に淹れたのだろう、黒い髪が優しく笑って、 「あまり考えすぎちゃダメよ」 と助言をくれた。若いんだから失敗なんて挫折でもなんでもないわ、やりなおせるもの。と、なんとも無責任な励ましに、イノは苦笑して、ふわふわと柔らかに湯気を上げる目の前のアップルティをごくごくと一息に飲む。飲み干して顔をしかめた。 「ねえ先生、これちっとも甘くないよ」 そうよ、人生なんてそんなものよ、と、保険医はもう一度にっこり笑ってそう言った。負けないから、とイノは小さく呟いた。 2006.02.26 「制服の肩巾」番外編。 |