思い出は、あの甘いマンゴーの味。

たとえば、先日ふと道端で買った黄色のマンゴーが吃驚するくらいに美味しかったとか。
またあのマンゴーを食べたいとうろうろと小道を彷徨っていたら、目の前に不意に開けた空き地にぽつんと佇むように咲いていた竜胆の花の青さに感動したとか。
たとえば自分があなたに言いたいのは、いつもこんな他愛の無い事ばかり。
昨日良い天気だったから干しておいたタオルケットで今日一緒に昼寝をする、ふわりと包まれたお日様の匂いに寝ているあなたが顔を綻ばせたとか、縁側に野良猫が集まって一緒に昼寝をしていたとか。
午後の時間はゆっくりと流れて、話したい事はいっぱいあるけれど多分全て話せるはずだから。
だからもう少し、一緒に寝ていましょう。
この温かな世界の中で。





夕空は、いつか見た海の色







遠く、時を告げる鐘が鳴るのを聞いて、ああもうそんな時間なのか、とイルカは眼を擦りながら身を起こした。畳の上についた自分の腕にふわりを触れる柔らかな感触、視界の端に揺れる銀色。視線を落とせばカカシが柔らかな寝顔で、イルカの傍らに子供のように丸くなって、くうくうと小さな寝息を立てていた。
ゆるりと空気に甘さが混じって漂ってくる。庭に咲くのは気の早い秋桜や、のんびりと夏から咲き続けている百日紅の花、それから、まだ蕾のうちから微かに甘い香りを辺りに燻らせる金木犀。秋の庭は実際こちらが思う以上に華やかで色彩豊かだ。
遠く西の空へと傾いた夕刻の陽光は、ゆらゆらと手を伸ばして畳の上にぼんやりとした陽だまりをつくる。揺れる葉の影が、畳や、寝ているカカシの上で軽やかに踊る。夕焼け間近の空にひとすじ、刷毛で刷いたような飛行機雲が真っ直ぐに伸びていて、柔らかな白い雲と少し褪色したような空の青の色合いに、どことなく懐かしさを覚えてイルカは眼を細めた。
間延びしたような鐘の余韻が空気に溶け込んで、夕方の訪れを告げる。日中の暑さを覚えるような気温もぬるく和らいで、吹く風はもうしっかりと秋の匂いだった。
路地で遊ぶ子供達の声、どこかくぐもって響くのは悪戯をして生垣にでも潜り込んでいるのだろうか、この後に聞こえてくるであろう大人の叱咤の声を想像して、ああ自分にも覚えがあるなあと子供の頃を思い出して、イルカはくすりと肩を揺らした。
そんな身動ぎに目が覚めたのか、カカシが小さく寝惚けた声で「イルカせんせ…?」と呟いてそれからイルカをの腰にぎゅっと腕を回して鼻先を擦りつけてきた。もういい年をした上忍だというのにこれはなんだろう、まるで小さな子供のようだ、イルカはもう一度くすりと肩を揺らして「そんな寝惚けた振りしても駄目ですよ。甘えたいならちゃんと口で言ってください?」と、そっと囁けば途端に眼をしっかりと開いたカカシの腕に今度こそがっちりと動けないくらいに捕まえられて、「ねえイルカ先生甘やかしてよ」だなんて、満開の金木犀よりもっともっと甘い声でそう囁かれる。
これではもう逃げることも出来やしない、もとより逃げる気はなかったけれど、カカシの嬉しそうなちょっと面白がっているような、そんな表情を見ると些かイルカは面白くない。
押し倒された畳の上、見つめてくるカカシからふいと視線を逸らして窓の外を眺めれば、そろそろ夕焼けに染まろうかという空の色は透き通るように柔らかな色で、あとは散るばかりの庭木の葉も不思議と瑞々しく鮮やかにイルカの目に映った。
少し涼しくなってきた初秋の空気は、開け放した窓から室内に満ちて、カカシの体温が重なり触れ合った部分から伝わってくるのがどうしようもなくいとおしく思えた。
イルカの視界がふわりと遮られる、目的などひとつしかないように顔を近づけてイルカをじっと見つめるカカシの、柔らかに微笑んだ瞳がゆっくりと閉じていく、つられてイルカもそっと瞼を下ろしながら、目の端に映るカカシの髪が光を含んできらきらと揺れるのを感じていた。
触れた箇所から溶け合うように甘くカカシの気配がイルカの中に満ちてゆく。啄ばむように数度、唇を合わせてそれからカカシの舌先がそっと合わせ目をなぞってゆくのがくすぐったくて、イルカはくつくつと咽喉を鳴らした。
口付けの合間、薄く眼を開ければカカシの顔は近過ぎてよく見えなかったけれど、相変わらず視界の端に揺れるその毛先、きらりきらりと光っているのが何かに似ているなとイルカはぼんやりそう思ったけれど、でもそれが何なのかは曖昧になる理性の中で思い出せないままだ。そうしてカカシのひんやりとした指先が肌の上を滑ってゆく、イルカはその心地良さにうっとりと、もう一度咽喉を鳴らした。
ゆるりゆるりと西の空が絵の具を滲ませたように赤く染まって、空の高い所では、褪色した青が次第に深い藍に沈んでいく。
窓は開けっ放しだったから声は上げないようにと心していたつもりだったけれど、喘ぐような息遣いにくぐもった嬌声が混じるようになる頃にはイルカの理性もすっかりぐずぐず溶けてしまって、せめて大きな声は出すまいとカカシの肩を抱き寄せて顔を埋めるその仕草に、カカシは嬉しそうに「もっと甘えて」と笑って言った。


ねえ気持ち良いからもっともっと、そんな事を呟いた気もするそれからカカシの腰に足を絡めたりなんて、事後の気だるい身体を畳の上に横たえたままでイルカはぼんやりと先程を思い出して顔を赤らめたりもしたのだけれど、カカシがイルカの横に同じように寝そべって子供のようにまた甘えて擦り寄ってきたので、最中は逆だったのに不思議だなあとイルカは苦笑して肩先に触れる銀の髪を撫でた。
きらりきらり、今し方点けたばかりの蛍光灯の下でカカシの髪が揺れる。まったくさっきと変わらずに光って揺れる。
結局思い出せなかった何かを、思い出そうとイルカが記憶を探っているとぽつりと傍らでカカシが呟いた。「海、行きたい」
ああそうだ海だ。寄せては返す波、遠い遠い海の上でも光はこうしてきらりきらりと反射して、踊るように波は揺れているのだろう。
「どうして?」イルカが問うた答えは返っては来なかったけれど、でもイルカもなんとなく、カカシが海に行きたいと言った気持ちが分かるような気がした。広い海をぼんやりと眺めて、二人並んで砂浜に。カカシがイルカの胸に耳を押し当てて、「潮騒に似ている」と笑った。
よく熟れたマンゴーのように真っ黄色のお月様が、次第に夜へ近づいてゆく群青の空にとろりと浮かんでいる。
「もう一度」そう囁いて優しくイルカに覆い被さってくるカカシの影、今光ったのはカカシの髪かそれとも一番星なのか。
うっとりともう一度目を閉じながらイルカは深くなる口付けに酔いしれていく、そんな初秋の宵だった。







2007.09.18
先日母が買ってきたマンゴーが非常に安くて美味しかった。ので、この二人にも食べさせてみたいなあと思って書きました。その割に食べる描写がありませんが。