ポモドーロ エ トンノ

ぼんやりとした曇り空の、曖昧に明るい昼下がり。
オレは煮立つ鍋の前で乾燥スパゲッティを握りしめて、溜息をひとつついた。




あいあるせいかつ






パスタを茹でる時はたっぷりの煮立ったお湯と、それから塩もたっぷりと。
塩気の無いパスタは愛の無い人生のようなもの。


きっとイタリア人の頭の中には、パスタとピザと愛しかないのだろうと思う。
もう一度溜息、それから鍋を覗き込む。鍋の中にはたっぷりのお湯、頃合を見てスパゲッティを放り込んだらぱっと綺麗に広がったので、ちょっとだけ嬉しくなった。
そうして昼飯はぐらぐらと茹でられていく、ガス台の前はどうにも暑くて、真夏にこれは一体どんな拷問だろうと、肩までまくりあげたシャツの袖を、下ろしてぐいと顔をぬぐった。汗に色が変わったそれを、もう一度くるくるとまくりあげたら隠れていた皮膚が熱気にあぶられてまた汗を出す。
鍋の中にはたっぷりのお湯、ぐねぐねとひっきりなしに動くスパゲッティは、つまんで一本引き上げるとまだほんの少し硬くって、でもまあこれでいいやとぼんやり溜息をついてザルに鍋の中身を空けた。 四角い窓に四角く切り取られた空はなんだか今にも泣き出しそうな色合いで、重苦しくオレとスパゲッティを見つめている。適当に食器棚から掴み出した皿の上に適当に茹で上がったのを全部乗せたらあふれんばかりの量で、加減を間違えたのは自分なのに見ているだけでうんざりして食欲を無くす。あーあと声に出したらちょっとはお腹が空くだろうかと、言ってから思いついてあーああーあとバカみたいに繰り返しながら皿をテーブルへと運んで、冷蔵庫から取り出したパスタソース、壜に貼ってあるラベルにはトマト、とかツナ、とか書いてあったからまあなんとなく味は想像がつく、蓋を開けて皿の横に置いた。


ねえカカシさん、オレちょっともう耐えられないから、帰りますね。
さっき聞いた声が、耳の奥でわんわん鳴っている。イルカが振り返らずにさっさと歩いていってしまったのがひどく悲しくて、あーあともう一度、薄暗い部屋の天井にそっと呟いた。綺麗に伸びた背中とか、束ねて揺れる黒い髪とか。あんたよく耐えられますね、そう言ってそのまま行ってしまった。イルカがそう言うのももっともだと思う。


ソースをべっとりと絡めたスパゲッティをざくざくと混ぜて頬張ったら、なんだかいつもと違う味がした。いつもイルカが茹でてくれるのと、どうやら同じようで大分違う。ちょっとだけ考えてすぐに、塩を入れ忘れたことに思い至る。パスタに塩、カカシにイルカ。イルカのいない生活なんて、そんなの無しでしょもう、あーあともう一度大声で言ってから卓上塩をスパゲッティの上に振りかけて、ざくざく掻きまわして頬張った。迎えに行ったらイルカは笑うだろうか、笑ってくれるならその方がいいなとか、考えながら。


スパゲッティをたいらげる頃には昼休みも終わって、外からはまた酷くうるさい脳を鷲掴みにするような工事の騒音が聞こえてきた。もうオレも限界、イルカさんのいないのは限界。
流しに皿を放り込んでじゃばじゃばと水をかけたら、赤い油混じりのマーブル模様がシンクに流れる。綺麗なんだかそうじゃないんだか、イルカの顔を見れば全部分かる気がして、靴を履く時間すらもどかしい。突っかけたまま外に飛び出そうとしたら、忍のくせに転びそうになった。
イルカの家に行って、イルカの茹でるスパゲッティを向かい合って食べよう、そしてトマト味のキスを。殴られたっていいからイルカさん美味しかったよと言って、口の周りをソースで汚したまんま。
間違いなく盛大に顔を顰めて逃げるであろう恋人の姿を想像しただけで、体が勝手にスキップを踏むのをオレは押さえられそうもなかった。





2006.06.23