やけにリアルなこの世界で

どんな怖い夢だったかも思い出せないまま、恐怖の残滓に怯えて、掛布をきつく掻き合わせる。
午前三時。
目の前の闇は永遠を意味するように深くて、重すぎる孤独に叫んでしまいそうだった。実際はひゅっと咽喉が鳴ったきり望んだ声はこれっぽっちも出やしなくって、ああオレは、本当に窮地に追い込まれた時もこうして、声ひとつ上げられずに犬死にしてしまうんだろうな、なんてやけに醒めた確信が頭の隅をよぎる。夢の中で声を嗄らして泣いていた、泣き疲れただるさだけが、起きてからも体中に澱のようにこびりついている。




排気ガスとペンキと夏の空の匂い






夜明けというのはどうしてこうも清々しくて忌々しいのか。無遠慮な光がずうずうしくも勝手に部屋に入り込んで全てをさらけ出す。床に散らばった鞄や靴下やジーパン、汚れたシーツ、恥ずかしげもなく大の字に寝転がった、恋人の裸体。
あほかと溜息をついて、体を起こす。頭が重い。太い腕を絡ませるように抱き締められて寝ていた、このせいで悪夢を見たんじゃないだろうかもしかして。頬を遠慮なくつねり上げて、それからごそごそとベッドから抜け出した。つねられた頬をぼりぼりと掻いて、ぐうぐう寝ているこの男の神経の図太さに、呆れるより先に感心してしまう。
裸のままぺたぺたと台所へと向う、玄関の新聞受けにはきちんと今日も世間のニュースが配達されていて、どうしようかなとちらりと考えたがそんな気分ではなかったので、無視して通り過ぎた。
朝一番の汲みたての水というのは、なんだか特別な予感がする。今日一日が素晴らしいものになってくれそうな。これを飲みさえすればいいとか、くだらなくばかばかしい。
ごくごくとのどを鳴らしながら、横目で寝室の方を窺う、寝息は聞こえなかったけれど動く音も聞こえなかったので、まだあの間抜け面で寝こけているんだろうな、と鼻を鳴らした。台所の開きっぱなしだった窓から、朝の少し湿った空気が、排気ガスの匂いを連れて入ってきたのでぴしゃりと閉めた。
しばらくぼんやりとしていたら何かの動く気配、ぼさぼさの頭を掻きながらカカシさんが、グッモーニンハニー、と近づいてきたので、遠慮無しの一発を腹に叩き込んで清々した気分になった。朝から暑っ苦しいんだよばかやろう。
気付けば昨夜の名残が身体のあちらこちらにこびりついたままで、気付いた途端に我慢出来ないくらい気持ち悪くて背中がぞわぞわした。オレの足元に転がったカカシさんも同じようにいろんな何かがこびりついているようだったが、そんなの本人の好きにさせておけばいい。
アンタもう一度オレに何かしたらあの世を見せてやるよ、と跨いで風呂場へ向ったら背後でいーながめ、とかなんとか呟く声が聞こえたけれど、無視してやった。可哀想に、どうやらこの暑さにいよいよ脳味噌が腐ってしまったらしい。


頭に鉄屑が詰まっているみたいだ。ぐらぐらと重い、うなされたのは確かに覚えていたが、それがどんな種類の悪夢だったか、記憶が鉄屑と掏り替えられてしまったようだ。
中も外もきれいに流してしまいたい、ぬるい湯が皮膚を打つ感触にうっとりする、内腿に残った赤い痕がどうしても消えなくって、どうしてキスマークというのはシャワーで洗い流せないのか不思議に思う。残したい人間なんて、いるんだろうか。
風呂場の窓を開けたら途端に騒々しい蝉の声に包まれて辟易する、かすかにペンキの匂いがした気がして、もしかして内腿のこれはペンキでも付いてるんじゃないだろうか、と本気でそう思ったから屈んで足の間の匂いを嗅いでみた。
いーながめ、とさっきと同じ口調でカカシさんが唐突に背後から声をかけてきた。ものすごいポーズでびっくりして固まったままのオレの尻を、そのままぐにぐにと揉んでくる。こいつ朝から何考えてるんだと一瞬思って、それから「ああん気持ちいい、ねえもっと」とAVのように喘いでみたらびくりとその手が止まったので、ばーかと笑ってぐるりと振り返って噛み付くようにキスをした。
暑い真夏の朝にはこんなのが相応しいんじゃないだろうか。
カカシさんの手がオレの首にまわる頃には、頭の重いのなんて忘れていた。





2006.06.23