それは幼い頃の思い出の欠片。

手を切ったよと言ったら手を舐めてくれ
頭が痛いと訴えたら頭を撫でてくれ
どうしようもなく心が苦しいと泣いたら抱き締めてくれた
僕の大好きな人は

何時の間にやら何処かへ行ってしまったので

僕はこんなにも途方に暮れているのです



こんなにも途方に暮れているのです






遠い過去、遥かな未来の水平線。







秋風に鳴る葉擦れがさらさらからカサコソへと変化を遂げる頃、その北からの使者は、まるで自身が北風であるかのように、初冬の寒さを伴って里へとやってきた。
噂はとかく広がりやすいものだ、特にこんな閉じられた空間の中では。
おかげで翌日にはいっぺんに里中の人気者だ、使者の方も困っている、困っているけれど面白がってもいる、それを使者の体面からか隠そうとしていて、でもその目が面白そうにくりくりと輝いているのを僕は見逃さなかった、見逃さなかった。確かに。
ああ寒いねと言いながら両の手をすぼめるようにして湯飲みを抱える、そんな仕草がやけに子供じみていて、僕はつい思い出し笑いをしてしまう。くすくすと。
彼のことを思い出すと、ふうわり心が温かな湯気に包まれているみたいな心地になるのは、多分こんな、しゅんしゅんと小さな音を立てて威勢良く湯気を上げつづける鉄瓶、飴色に四角く切り取られた囲炉裏端、ゆっくりと流れる時間を伴って思い出す、こんな風景のおかげ。
使者のいる風景。
そも、使者の方はなぜこんな鄙びた里までやってきたのだろう、何の御遣いなのだろうかなんて、あの頃の僕はそんな事すら考えもつかなかった。
里の人たち誰もが、そんな事たいして気にしちゃいなかったと思う。使者が来た、里の外からヒトが来た、それだけで一大事だったのだから。
そんな里だった。
僕の里。
幸いな事にと言ったらいいのか、里の長は僕の祖父であったから、僕は使者の方とも頻繁に話をする事が出来たし、ずいぶんと可愛がってもらった記憶が有る。第一に、彼は僕と同じ屋根の下ではないにしろ、我が家の離れというか、そんなかんじのお客様用に設えられた別棟で寝起きをしていたため、朝に夕に、顔をあわせる機会は何時でも在ったのだった。
記憶の中で、いつも彼は優しく微笑んでいた。
ほらこっちへおいで、飴をあげるよ。
里の子供達を、遠巻きに木の陰から覗くいくつもの大きな瞳を目敏く見つけてはその度に、殊更に破顔しては懐から、まるで奇術の様に菓子の類を取り出しては、そうやって呼び寄せる。
子供が好きなの?
そう聞けば人が好きなんだよと微笑んで返す、その言葉尻にはいつも、微かな寂しさが滲んでいたのが不思議だった。あの頃の僕は結局のところ、何も知らない子供だったのだ。
初めからこの里のように辺鄙な所に、用事なんて無かったのかもしれない、使者なんていうのは大人達がよく好んで使う方便の一つで、もしかしたら彼は何かもっと重大な何か、どんな目的で里に来たのかは分からないが、だから淋しそうな眼差しをしていたのかもしれない、と後になって思う。



僕にとってここは、あの頃世界の全てだったから。





20041029
続きます。