こんなにも、貴方を想う。

世界の在り処






ここのところどういうわけか、上手く眠ることが出来ないでイルカは困っていた。
誰かに言おうものなら、すわ国の神獣の一大事とばかりに大袈裟な心配をされてしまうから、だから夜に女官達が下がるまではいかにも眠そうな振りをして、朝は元気な振りをする。
睡眠が浅いのか、一夜に何度も目が覚める。暗い部屋の中で目を凝らしても他に動くものはなく、ただ冴えた月が窓の向こうに浮かんで、雲海を煌々と冷たく照らしているのが、綺麗なのだろうがどうにも淋しく感じられて、暗い夜の底に自分ひとりしか居ないような思いに駆られる。柔らかな絹の敷布に頬を擦り付けて、目を固く閉じてもなかなかに、一度目覚めるともう再び眠りの世界に入ってゆくのは難しくて、だからそのまま朝を迎えるのも最近では珍しくなかった。窓の硝子を透いて差し込む朝日が石の床に長く伸びて、一日の始まりを告げる。遮るものの何も無い、強烈なほどに強い朝の陽射しに、全てが暴かれるような落ち着かない気分になる。


その朝もまた寝不足であった。イルカは雲海から昇ったばかりの朝日に、軽く眩む目を瞬きつつ、結局未明から一睡も出来ず無為に潜り込んでいた寝台から抜け出すと、そのまま部屋からそっと出ていった。扉の向こうはまだ静かで、廊下を歩く女官の影も見当たらず、あまり人と会いたくない気分だったので安堵して、詰めていた息を吐いた。
足音を立てないように、滑るように廊下を進む、こんな朝に、イルカが向う先はいつも、同じ場所だった。王宮の奥まった一角にある、両開きの小さな扉をそっと押して隙間をすり抜けるようにして外へ出る。扉の向こう、古びた石の階段を数段下りた所には、鮮やかな花の咲き誇る庭園が広がっていた。あまり知る人間もいないのか、定期的に手入れはされても見る者の姿を見かけることがない、忘れられたような庭だった。イルカは一人になりたい時にここに来る、植物に囲まれていると、疲れた精神が多少なりとも、楽になるようで、落ち着いた。清々しく柔らかな朝の空気、朝露を乗せた葉の輝くばかりに鮮やかな緑と、甘い香りを放って開く大輪の花々、なんとも生き生きとした様が、同じ生きているというのにひどく自分とはかけ離れているようで、イルカは緩く笑った。草木を縫うように気紛れに曲がる敷石の上をゆるゆると歩く。しばらくぼんやりと散策していると、次第に太陽は高く上がってきたから、ああそろそろ女官が探している頃だろうか、とイルカが振り向けば、石段の上に小さく、立っている人物の姿があった。見間違え様も無い、その白い髪。いつから其処にいたのだろう、イルカが小さく「主上」と呟くと、届く距離でもないのに呼ばれたかのようにゆっくりこちらに向ってやってきた。イルカは慌てて、爽やかな朝に相応しい笑顔を取り繕う、歩いてくる人には絶対に、自分の疲れている様を見せたくはなかった。
次第に近づいてくるその姿、揺れる白い髪が朝日を受けてきらきらと光って見える。こちらを見つめるその双眸は左右で色が異なり、顔には眉の上から左の頬にかけて縦に走る大きな傷があった。「主上」イルカがもう一度言うと、今度こそはっきり聞こえたのだろう、主上と呼ばれた人物は嬉しそうに笑って、「おはよう」とイルカに言った。イルカもつられて、今度は作り笑いではない心からの笑顔で「おはようございます」と微笑んだ。
この人の笑顔を守りたいと、思った。





2006.06.14
十二国パロです…。イルカ病みかけ。お互いに国より相手を想ってしまっているから。かな。