腐り果ててゆく。

死に逝くものたちへ







白々と夜は更けてゆく、あまりに明るい月が空へと昇っているので煌々と、辺りはまるで昼間のように明るかった。
空気が低くたちこめている。冷たく重い。
厚い建物の壁を通して、夜気が深々とこの身に染み透ってゆくようだ。
耳が痛くなるような静寂が、部屋に満ちている。
ひんやりと冷たいシーツの上で、彼はまったく身動ぎをすることも無く、こちらに背を向けて横たわっていた。
呼吸をする微かな動きすら、認められない。
もしや彼は死んでいるのはないだろうかと、そっと近寄り、身を乗り出して彼の顔を覗き見る。
自分の身体が動くのに合わせて、水の底のように重苦しい空気が、ゆっくりと対流するのが肌に感じられて、なんとも気持ちが悪い。
ゼリーのようにぬるりと、澱んだ空気が肺に流れ込む。
ゆっくりと、彼に近づく。
はたしてそっと伺う彼の顔、その中心で双眸はてらてらと、薄暗い微かな照明を反射して、ぽっかりと開いているのだった。

イルカさん、起きていたんですか。

そっと、詰めていた息を吐き出すように呟く。
こちらに気付いているのかいないのか、彼は何の反応も返さずにまるで人形のように、ぽっかりと開いた眼を壁に向けて、じっと虚空を見つめていた。
虚ろに只見つめていた。
次第に腐ってゆく生き物の、すえたような少し甘い匂いが微かに漂っている。
この部屋はゆっくりと死に向かっている。
硬い灰色の壁に囲まれている小部屋は、死に逝くものに最後に与えられる墓標の役割で其処に在る。
冷たいベッドの上に横たえられて、彼は只逝く為に其処に居た。
自分は、死に逝く彼が最後に発する言葉を、聞き届ける為にもうずっと其処に座って居るのだ。
もうずっと彼を見つめ続けている。
ぽっかりと人形のような眼をしている。たぶん自分も。
どろりと濁った空気、この部屋にはまるで生き物などまったく存在していないかのようであった。
永劫の時が流れたのか、よもやまだ一昼夜しか経ってはいないのだろうか。
月は白く冴えて、天空に浮かんでいる。
死に逝く彼を白々と照らしている。
小さな窓の外でも永劫が夜を支配していた。
彼と二人でどこまでも朽ち果てていく。
緩慢な死に向かっている。






不意に聞こえた音。
彼の、存外に優しく穏やかな声が重いこの空気の中、ゆっくりと耳に届いた。





2004.12.25